キャピタルS、その3くらい

 JRAの超絶開放政策は本当に最近のことで、以前はJCと富士SとキャピタルSくらいしか国際レースがなかった時期もあった。富士Sなんかは最下位に敗れたオウンオピニオンや激烈追い込みをぶちかましトリプティクが使ったように、JCのステップレースだった。キャピタルSだけが数ある重賞競走の中でなぜか開放されているのではなく、先にキャピタルSが開放され、というか国際競走として設置され、後からスワンSやら武蔵野Sやらが開放されているという流れ。急激な開放路線の前からもバランスの悪い競走体系ではなかったので、今も国際競走として残っているんだろうと思われる。国際レースができた当初は、既存のレースを開放するというよりは新設するほうが「既得権益を奪っている感」がなくて反対が少なかったのかも。
 ググっても適当な資料が見つからなかったけど、実家に置いてある「サラブレッドブリーダーII」というSFCソフトで当時の番組表だとかが載ってると思った。中古屋に行けば500円で買えるから興味のある人は覗いてみては。