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KANKANのネット競馬屋日記
批判している記事の冒頭

「競馬とは、競走馬の資産価値を高めていく奇妙なゲーム」。1999年のジャパンCを前に、世界各国の国際競走の企画・運営に当たっているIRB(International Racing Board)のニック・クラーク氏は、筆者にこう語った。

これを読めばわかると思うんだけれど、

それで岡田繁幸氏がコスモバルクを制度改革の道具にしている根拠として、冒頭に競馬が「馬の資産価値の向上」を目的としたゲームだ、と定義づけ、岡田氏のやり方がその定義から外れていることを批判しています。

ノモケンは別に「競馬が『馬の資産価値の向上』を目的としたゲームだ」とは定義づけしてはいないわけなんですよね。

要はこの岡田氏批判、単なる感情論でしかないんですよ。

この部分はまさにその通り、コスモバルクという馬のためにならないからやめてほしいというノモケンの感想なわけだ。それと、岡田繁幸氏のわがままっぷりを嘲笑するというか、生暖かくヲチって近況報告するというか。
ただ、この岡田繁幸コスモバルクの勝手な外厩戦争、競馬マスコミもこぞって「バルクがんばれ」みたいな風潮になっているのが奇妙。そんなことにはならないだろうとタカをくくっているのか、それとも外厩制度と自分達の食い扶持に関して明確な関連がないと思っているのか。トレセンは許可のない人間は立ち入り禁止で、取材が容易に可能というわけではない。専門紙への参入も規制が強いというか、競馬場内で新聞売りを見ればわかると思うけれど「仲間はずれ」の競馬エイトは他の日刊競馬ホースニュース馬などとは違い、売られているところが限られている。昨日も書いたけど、トレセン取材なんてものが既に既得権益で、一般ファンはGI直前の追い切り見学会みたいなものでもないと中々調教風景を直に見ることができない。「自由化」「規制緩和」とは程遠い。そんなガチガチに固められた現在の競馬マスコミ既得権益すらぶち壊しかねない、それが外厩制度なわけなのに。
当然、外厩制度が中央にも幅を利かせてくれば、競馬マスコミも認定厩舎へ取材に行かなければならないわけだ。トレセンは様々な調教師の厩舎が混在していて、同じトラックを回って坂路を駆け上がっているから「誰々がどこどこの厩舎担当」としていれば、あたりを駆けずり回ることもなく取材も容易だろう。中には取材のためだったりで調教師の提灯持ち記者もいるわけだけれど、認定厩舎取材はさらにそれが激化しそうな予感。トレセンなら嫌われてコメントが取れなくなっても時計と調教風景は取材可能なわけだけれど、認定厩舎に嫌われたらGIの本命馬の時計や様子が1社だけない、みたいなチョンボになりかねないわけだし。
「自称トレセンの嫌われ者」ことノモケンだからこそ「奴らは競馬マスコミの敵だ」と噛み付いているのかもしれない。内心は野元賢一氏に激しく同意なんだけれど、「岡田繁幸コスモバルクを中央に移籍すべきだ」なんて空気の読めないこと言ったら干されそうとか思っている記者もいるかもしれない。「レベルの高い舞台でレベルの高い馬同士が最高のコンディションで激突するのを見たい」という主張は競馬ファンなら当然のことだと思うし、コスモバルクを中央に移籍させろというのは当然その主張に基づくものだと考えられる。