話題に貴賎などないのだよ

タブー視してもよいのかKANKANのネット競馬屋日記) from 白駒食場
少し前に、競馬の「馬券」と「馬券以外」という、二面性について書いたもんだから見逃せないネタ。確かにネット上では

馬・馬主・調教師・騎手・生産者などについて語る人>馬券について語る人

というようなヒエラルキーができてしまっているのかもしれない。でも、それは「人」で差が出てしまっているだけで、「話題」ではそうでもないんじゃないかと思ったりした。便宜的に「馬券ファン」「競馬ファン」という区切りをすると、競馬のファンには「馬券ファンかつ競馬ファン(以下「馬馬ファン」)」「馬券ファンだけど競馬ファンではない(券ファン)」「競馬ファンだけど馬券ファン(競ファン)」じゃないという3通りが考えられる。一番後者の競ファンも少数派ながら実在しているけれど、残り2つが圧倒的マジョリティ、つまりほとんどのファンが馬券には興味があるってことは確かだと思う。
下級条件のレースでも、自分の軸にした、頭で買った馬が抜け出した時の爽快感、接戦でハナ差・頭差の勝負をモニタで入線順を確認するときの緊張感、そして払い戻し窓口から出てくる現ナマの充実感。ギャンブルだから面白い部分だって、競馬には当然あるわけで。
けれども、どうして馬券について語ると面白くないのか。どうしても、競馬ファンの共通認識である競走馬や調教師、馬主なんかの話題と違って、馬券の話題は競馬ファン個人が買った馬券のネタがどうしても中心となってしまう。個人的な話題を読む側にとって価値があるのは、その個人にネームバリューがあるか、その個人を個人的に知っているか、または個人的な話題であることを抜きにして勝ちのある文章か、この3通りくらいしか思いつかない。「本命馬は」「馬券買って当たった外れた」という内容は、非常に個人的で、関係のない人にはまったく興味のない話題。券ファンの中には「当たる人」に価値を見出す人もいるみたいだけれど、とりあえず自分はそうは思わない。
馬券の話題で、関係のない人が読んでも価値のある文章を書く、書ける人が多ければ、リンク先の人が感じるようなヒエラルキーはできないと思うのだけれども、どうだろうか。馬券のことが中心でも「ボロ株観光」は読んでるんだけどなー。