ゴメン、正直な感想だわ

帰ってきてから改めて通して読んでみて思った。俺には理解できない日本語の組み合わせで物事が語られているのを久方ぶりに見た気がする。いや、マジ。
一応確認しだけとっておくか。字面通り受け取ると尊敬する先生が馬鹿にされた気分だ。
(30分後)
3回読んでようやく理解できた。800人もメルマガ読者がいる俺凄いだろってことか。あーはいはいスゴススゴス。
ttp://ameblo.jp/keibanoyobikou/entry-10005251699.html

ようやくこの域に達してメルマガ読者が800人です。800人切りましたが(笑)、800人を行ったり来たりするレベルですが、私は自分の世界観に耳を貸す人間を確保できたのです。そして結果が出ると一層、話をきいてくれます。

最後の結論を言いますと、「rs氏、貴方は貴方の話に耳を傾ける人を確保できる言語はお持ちですか?」という事なんです。

これを読んだ後、井崎先生がどうのこうのというパラグラフを読んでそう思いました。井崎先生はメディアではぶっちぎりナンバーワンの露出度で色々なところで文章を書いてる。「文章は基本的には読んでもらわなければ意味がない、俺の文章は読んでもらっているけどForgottonFactoryの中の人は誰にも読んでもらってないでしょう」ってことが言いたいんじゃないかと思いました。自分の意見を伝えるために、当たる予想をやって読者を集めた。君らのやっている競馬評論というのは誰も読まない価値のないものでしょう、と言いたいんじゃないかな?と思いました。あーはいはいスゴススゴス。しかし、ここまで正面切って「お前の文章なんて価値ないから」って言い切れる人は凄いね。よほど余裕と自信に溢れてるんだろうな。と思いました。
でも、ひとつだけどうしても理解できないセンテンスが。

競馬に評論家はいりません。しかし予想家は必要です

僕は、競馬に予想はいらないけど評論は必要だと思います。つーか予想家は評論家に含まれるんじゃないかと思うんだけれど、彼の中では予想は評論とはまるで別物なんだろうと思いました。
ここは俺のダイアリーでチラ裏垂れ流しだから、読んでる人は「なるほど」とか「同意」とか、決してそういうふうに思わないでください。そういう感想になる文章は基本的に書いていませんが、万が一そういう結論に至る人が出ないとも限りませんので、一応釘刺しておきます。俺がそう思ったってだけで「書き手はこういう意図」というイメージを第三者に与えるものではありません。必ずこの注意書きを読んでからこのエントリはお読みください。