別に俺は「空気を読め」と言っているわけじゃない

「おまえも空気の奴隷になれ」って?「空気読め」の扱い方次第で人生台無し(分裂勘違い君)
でもさ、「利害と感情の構造を操る能力」が偏重される世の中って、もの凄い生き辛そうじゃね?純粋なココロ 2.0
このへんに関連して。
空気を読めってのは、自分と自分側の人間と利害と感情のほにゃららから、言い放った相手に対してある種の強要をするもんだってのはよくわかった。それと、空気を読まなきゃ生きていけない社会が窮屈そうじゃねってのもよくわかった。
でも、空気を読めと強要される社会のほうが生きやすいと思うんだな、俺は。いや、空気を読むことを強要されるというよりは、皆が自然に場の雰囲気を考えて行動できるようになると。例えば、職場の歓迎会とかで、新人にも関わらず酔っ払って汚いものの話を延々続けて場をドッピキさせる人には、何らかの注意がいって当然だと思う。むしろその場で先輩から説教だろ。そいつが「コミュニケーションスキルなんてクソクラエ!」とか言い出したら、一生軽蔑すると思う。
古くからの友人とか、そういうの相手なら何も考えず突っ走ってもある程度容赦いただけるかもしれないけれど、職場とかそういうのって場の最大公約数的な空気が存在して、しかもそれは長い間その場所で培われてきたものだったりして、なかば聖域みたいな感じになっていたりもする。その聖域を操ったり乗りこなりしたりするのがコミュニケーション能力っちゅーもんで、窮屈でも関わりを持たなきゃいけないものなのよ、と。別に空気が読めなくても俺は「空気嫁」とは言わないし、ただ「ああ、こいつは空気が読めないんだ」という感情しか持たない。空気を読まずに自分の利益を追求するのを批判するのは、勘違い君の言うところの「嫌な奴」で、最大公約数的な何かに従うのみの人なんかはこういうタイプがさぞ嫌いなことだろう。俺も嫌いだし。
ちなみに最大の勘違いは、コミュニケーション能力なんてなくても、コミュニケーション能力全盛社会で楽に生きる方法が存在することに触れていないからだろう。どうやったら空気が読めない人でも楽に生きられるかというと、それは絶望的に仕事ができる人は、コミュニケーション能力(=政治力)が高い人から重宝される、ということだ。仕事のできない媚びへつらうだけの奴を残して、仕事のできるわが道をいく人を追い詰め首を切るような奴は、企業にとって最悪の人間だから。他人にとって価値のある人は、コミュニケーションなんて取れなくても残されていくものなのさ、と。