「好き」と「萌え」の違い

世界のはて - 「萌え」はそんなにイメージの悪い言葉だったのか
すき 2 【好き】 - goo 辞書

(名・形動)[文]ナリ
〔動詞「好く」の連用形から〕
(1)心がひきつけられること。気持ちにぴったり合うさま。
⇔嫌い

辞書だとこんな定義のされかたしてるね。元々は「好く」という動詞の連用形で、「好きな人」「えびチリが好きだ」というような使い方をする。対して「萌え」という言葉は、「萌える」から派生して「めがね萌え」「ゴンキルのおバカなやりとりってマジ萌えるんだけど」とかいう使い方を経て、いつのまにか「萌えキャラ」「エビちゃんって萌えるよねー」という使い方をされるようになってきた。
んじゃ、この2つの言葉の差ってどこにあるのかというと、フィードバックに対する期待の差なんじゃないかと勝手に結論付けてみている。好きっていうのは、好きな対象にフィードバックを期待する。ハンバーグが好きなら、ハンバーグを食べておいしく味わいたいと思うだろうし、文化系女子が好きなら文化系女子の容貌や会話を楽しんだり、はたまたあれやこれやしてみたいという願望があることだろう。だけんどもしかし、「萌え」にはそういうフィードバックに対する期待感というものがないんだと思う。ハンバーグに萌える人は、ハンバーグという存在に萌え味わおうとせず、自分の中で目の前にあるハンバーグから送られてくる光を網膜で感じ取り、神経を伝達し脳に送られた電気信号が解釈され「ハンバーグ萌え」と感じる。「ハンバーグに萌える」という動作であり、その人がハンバーグが好きとは限らないのである。
萌えは属性に対する場合が非常に多い気がする。「文化系女子」という属性に俺らは萌えるんであって、本人に対しては「萌える」という動作もあるけれど、「好き」という感情も持ち合わせる。ハンバーグは嫌いだけど、肉汁のしたたる映像には萌えるかもしれないし、サトエリは好きだけど文化人ぶったあたりには萎えるかもしれないわけだ。恋人にただ「君って萌えるね」というのと、「○○の○○な部分ってメチャクチャ萌えるんだけど」と言うのでは大きな差があるというか、なんというか。
また、好きの対義語は嫌いだし、萌えの対義語は萎え、のはず。「萌える」という動作は、つまるところ「がっかりする」のほぼ真逆、ということだ。萌えられるのはいいことなんじゃないかね、と思うんだけども。