引退馬の余生について、なんちゃら

キルトクールブログ: そろそろ引退馬の余生について考えてみないか?(ドリパス)

一口馬主の責任? 余生を全うさせる義務は誰にあるか: 馬券日記 オケラセラ

馬の余生なんたら ついったーへん - 血統の森+はてな
今のところ、だいたいこんな感じ。ありがちな展開ですね。

3時間くらい書いては消し、書いては消し。

構成考えてちゃんとした文章にまとめようと思って挫折した。よくわからなくなってきた。

金を集めるシステムの話

例えば、社台やマイネルなんかで、愛馬会の法人とは別に引退馬の余生を管理する法人があったりして、引退馬が繁殖に上がれなかった場合、希望者を募って余生を過ごさせることができるシステムなんてないのだろうか。賞金からあらかじめ費用をプールしておいたりすることもできるし、オープン特別とかで賞金を稼がせてもらった馬とかなら、それがお金を払う動機にもなるかもしれない。会報が届いたり、写真や動画がYouTubeに定期的にアップされたりして、会員がブログで書いたりすれば、「こういうシステムもあるよ」という宣伝にもなるか。ファンの善意に頼るのであれば、そういうシステム化と定期的な広報によるシステムの周知などはされていなければならないだろうね。
「サポーターズクラブ」ってのがコレにあたるのかな?

余生を産業として成立させるには?

  • 東京や大阪などの大都市圏などからトレセンや馬産地が遠いってのはあると思う。例えば東京で働く会社員が、オープンで長いこと活躍して楽しませてくれた出資馬が引退するけれど、余生のためにお金を出したとして北海道まで行かないと会いに行けない、というのは余生に投資する障碍となるわけで。
  • 余生の逆、デビュー前は「一口馬主」という商売として成立している。
  • 文化・価値観・宗教的な面から
    • ギャンブルやレジャーとして発達しすぎた日本競馬文化はどう影響?
    • 「いただきます」「ごちそうさま」と言えば何でも食べていいというのは、サラブレッドを消費する上で非常に都合が良いのではないか

雑感羅列

  • 罪の意識にかられて免罪符を買おうとするのは理解できる
    • だからといって、他人にも買えと要求するのはどうかと思うが
  • 「供養」とか言ってる自分は、罪の意識を持ってしまっているのだろうか?
    • サラブレッドを消費することによって成り立つエンターテイメントに対してどこかに罪の意識があるからこそ、「○○だから自分はセーフ」「××だから競馬文化はセーフ」という「救い」を求めているのだろう、きっと。
    • 供養という言葉はなるほど、日本的な「救い」なのかな、と。
  • 他者の生殺与奪に関わりたくないだけかも
    • とにかく「自分が生かしている」「自分が殺している」のどちらの感情にも触れたくないんだと思った。野良猫と触れ合うけれど餌付けはしない、みたいな。
    • だから、たとえどんなにお金が余ろうとも競走馬は買わないと思う。
  • 競走馬の引退後の行方ついては、乗馬として余生を過ごしている"はず"という目の背け方は許されている。
    • 競馬ブックなどの「お疲れ様」コーナー
    • ダビスタなどでの「引退後は乗馬になります」というコメント
  • 目を背けてもいいけれど、忘れちゃいけないことなんだなー、とは。

以下、駄文(無価値)

ところでどうでもいいことなんだけれど、競走馬を屠殺することを禁じられた近未来日本で、北海道の大地に捨てられたサラブレッドの子供が、謎の馬として日本ダービー有馬記念なんかで暴れ回るってストーリーを思いついてしまった。既に色々設定が破綻してるけど、マキバオー的なファンタジックなお話として感じ取ってもらえれば、それで。