写真判定のVTRを見ながら「まあ、どっちでもいいんだけどね」と言う競馬賢者タイム@JC


なんというか、相変わらずチキンな買い方である。ワイド5−10とか、そこだけ的中してもトリガミだってのに押さえてあるあたりがなんとも。
スクリーンヒーローの調整過程がどうもよろしくないというニュースを聞いて、相手本線をオウケンブルースリに変更したのが効いたかな。
あとは、コンデュイットの血統を見てみたらサドラー×ダラカニというバリバリの欧州血統。こんなもんがJCで来たらお手上げだって。
レースはウオッカが抜け出したところに後方待機のオーケンブルースリが突っ込んできて、並んでかわしたかどうかってところがゴール板。馬単10→5を持ってたからこそ、入線直後から「いやあ、ウオッカは素晴らしい牝馬だよ」だの「ルメールは神すぎるだろJK」だの言っていられたんだと思う。裏持ってなかったら「モニターだとどっちかわからないけど、白は膨張色だからウオッカ有利だ!」だなんて自分を言い聞かせてそう。写真判定で裏表持ってて「どっちでもいいよ」という高見の見物は、ちょっとした賢者タイムみたいなものかな。実際は「ウオッカ頭のほうが高目なんだよなぁ〜」と判定が出るまで悶々としていたわけなんだけれど、競馬が「レジャー」な日本においては、そういう心理的な安心感を得るための「アバウトな買い方」としての馬番連勝複式が人気あるのかな、と思った。予想はするけれど、ウオッカが上位に来そうな気がする、オウケンブルースリ複勝圏は固い、だのそういう「何か来そうな感じ」で馬券を買う習慣、というのもアリなんだろうね。ウオッカ頭固定で!とか息巻いていたクセに、チキンにもワイド5-10を持っていたおかげで、オウケンブルースリが勢い良く伸びてきて、ウオッカが抜け出したところで「なんかもう馬券取った感」があって、グッとレースに集中できたわけだし。
馬券を買わなくても競馬は楽しめる。だけれども、馬券ってのはより競馬を楽しむためのスパイスで、その振り方も色々とある。
枠連しかない時代は、先行馬と差し馬が同枠に入っていたら、その枠を買っておけば先行有利な展開でも差し有利な展開でも楽しめるんだって、父親が話していた。
自分も中二病を患っていた頃は「競馬は崇高な推理ゲーム」だなんて思っていたものだけれど、やっぱり単なる娯楽以外の何物でもないと思うようになってきた。写真判定でハラハラしてる人の横で「どっちでもいいんだけど」と前置きをした上で「内か?外か?」という議論をすることで味わえる優越感も、競馬の楽しみの一つなんだな、と思ったジャパンカップでした。まる。