ダイワスカーレットVSウオッカも永遠に罵りあいが続くと思うと、ちょっと嬉しい晩秋の夜。

1960年代の末、タケシバオー、マーチス、アサカオーの三頭がクラシックを席巻、日本競馬史における最初の「三強」と呼ばれる。古馬になってからはタケシバオーの独壇場だったが、旧四歳時の三頭の対決は物凄く盛り上がったそうだ。
1970年代の末、トウショウボーイテンポイントグリーングラスが「TTG」と呼ばれ、三強を形成した。1977年の有馬記念は、今でも語り草になっている。*1
1980年代の末、イナリワンスーパークリークオグリキャップが「平成の三強」と呼ばれてもてはやされた。
1990年代の末、エルコンドルパサーグラスワンダースペシャルウィークが「どの馬が一番強いのか」と議論になり、JRA賞はなんと決選投票にまでもつれ込んだ。翌年のテイエムオペラオーを混ぜて「エルグラスペオペ」とも呼ばれる。
そして2000年代、いわゆる「ゼロ年代」の最強論争はついに牝馬の時代へ。ダイワスカーレットウオッカ、果たしてどっちが強いのか?という議論は今でも尽きることがない、らしい。

ウオッカ>>>>>ダスカが完全に確定した件69
http://dubai.2ch.net/test/read.cgi/keiba/1259480674/


69」って。
ロジユニヴァースアンライバルドリーチザクラウンの三強も盛り上がらなかったし、ブエナビスタVSレッドディザイアが盛り上がらないとこれは双方100スレ越えてまでなお罵り続けるペースだね。
最初はどの馬が強いか、行われるレース見ながら真剣に罵り合ってるんだけれど、そのうち「ウオッカ厨」「ダスカ厨」とファン同士がお互いを罵り合うようになる。これ、ゲハ板の妊娠GK痴漢とか芸スポの焼き豚サカ豚論争と一緒。まあどっちも強いじゃん、俺は両方応援してるし良いレースが見られればいいと思うよ、という意見は徹底的に無視、どっちがより強いか?優秀か?素晴らしいか?という不等号をつけるためだけにスレは進行し、汚い言葉の応酬が続く。
そうか、今は「ウオッカ厨」「ダスカ厨」と呼ぶのか。昔は「スペ基地」「エル基地」「グラ基地」「オペ基地」だったものだけれど、時代は変わったのだな。あの頃、エル基地の奴らどもは一段高いところから見下ろしているようなクソヤローどもばっかりで、オペ基地なんて眼中になかった。グラ基地の俺は、スペ基地と朝まで罵り合うなんて毎日のことだった。あいつら、宝塚記念で完膚なきまでに負かして、有馬記念で調整失敗してなおハナ差負かして、恥ずかしい勘違いウイニングランまでしたってのに、「豚」だの「JCから逃げた」だのバカにしやがった。スペシャルウィークなんて旧5歳で引退しちまったクセに、グラスの旧6歳時の成績を持ち出して笑うんだからな、本当にムカツクヤローどもだった。
だけれども、2006年の朝日杯でオースミダイドウマイネルレーニアが上位人気で、2頭の父がそれぞれスペシャルウィークグラスワンダーだったのを見た時、少し込み上げるものがあった。
そうか、スペシャルウィークの仔とグラスワンダーの仔が、また中山の芝コースで激闘を繰り広げる時代が来たのか、と。
昨日のJCでも、スクリーンヒーロー(父グラスワンダー)とリーチザクラウン(父スペシャルウィーク)が激突していた。
いつか、今の競馬板でウオッカだダスカだと罵り合ってる人たちも、互いの子が活躍する姿を見て「ああ、そんなこともあったな」と感傷に浸ることがあるのだろうか。60を過ぎて競馬やってるジイサンたちに話を聞いたら、トウショウボーイが最強だ、いやいや有馬記念テンポイントのが強いことを証明しただろ、という言い争いが始まるのだろうか。トウメイ基地の井崎脩五郎先生に「あの時の有馬記念はインフルエンザの影響で頭数少なすぎw」とか言ったら、瞳孔開いてブチ切れ反論するのだろうか。
大衆があーだこーだ論争したこともまた競馬の歴史の1ページなんだから、これからも大いにウオッカVSダスカは罵り合ってほしい。

*1:このダイアリーを書いてる人は、その時代を見ていないのに「グリーングラステンポイントトウショウボーイに混ぜるなよ」という主義者だったりする。まさに中二病をそのまま引きずって生きてきました