シャープに十字を…

 クリスマスだから、俺の浮いた話でもひとつ。アレの誕生日に恋もクソもないと思うが、まあ世間ではそういうことになってるんだから聞いてくれ。
 俺と細江との出会いは、奴が競馬学校を卒業して騎手になる時。洋一の息子福永祐一がデビューしたり、JRA初の女性騎手が誕生したり、双子の柴田大知・未崎騎手が誕生したり、花の○期生と呼ばれていた世代だ。何期生か覚えてないから割愛。牧原由紀子がかわいいらしいとの触れ込みで、細江と田村はあまりどうとか思っていなかった。特に細江なんて関西の所属なんで顔も知らなかった。
 「競馬の達人」という、今はもう廃刊になった季刊雑誌に「細江が馬券に絡むときはいつも万馬券のイメージ」というフレーズが載っていたことを覚えている。顔もアレだ、あまり目立たない感じだ。
 で、俺の中で彼女がブレークしたのは「競馬新聞☆神」というネット上で発行していた競馬新聞みたいなものに関わっていたときだ。関西スポニチか何かで記事を書いていて、それがあまりにも当たらないから「細江の予想を外して買え」というコンセプトで彼女の予想を2002年の春頃から追いかけていた。「ハニワの女神」という凄まじい言われようで、細腕純情日記なんていうスポニチの記事タイトルはもうどこへやら。その細江が、あしたのGという関東ローカルの土曜競馬ダイジェストで目黒貴子さんらと競馬予想をするレディたちという触れ込みで出てきて、生意気にも調教解説をサンスポの”太厩舎所属”知子とともにしていたのだ。あのなあ、ろくに馬券にからんだこともないお前に解説されてもなあ、と思いつつも、その容姿に、なんだ、その、まあ色々と難癖をつけていた。
 その細江が、中央競馬ワイド中継という、これまた関東ローカルのU局の競馬中継に出演しだした。土曜日の目黒さんのポジションを奪い、かわりに目黒さんはメインキャスターの位置に。目黒のあっこたんは渡辺和昭にいじられ、リポートは細江という土曜日に。目黒さんが照男やコバジュンの意味不明なレース後の感想を伝えるのが土曜のマターリとした午後なんじゃねえか、たどたどしく福永の話しかしない細江はすっこんでろと何度思ったことか。
 ところがどうだろうか、人間というものは見慣れてくると慣れてくるもので、細江のレースリポートが鼻につかなくなり、かつ「細江ってそんなにアレじゃないかも」と思えてくる時期が来たのである。

というような話を競馬好きの古い友人にしたら、「お前の視力って、確か両目とも1.5だったよな?」と言われてしまった。
違う、細江がアレなんじゃねえ、スタイリストだ。テレビに出る人なんてスタイリスト次第で全然違うんだよ。