地方競馬のほうが強かった、というのはさすがに言いすぎでは

「日記」地方競馬がなくなると、中央のファンはどう困るのか?

いまから20数年前(昭和50年代なかごろ)には、中央のほうがレベル低く、売り上げも伸び悩んでいた時代があったんです。
 自分の読んでいる寺山の本だと、1960年代〜70年代くらいまでは現在と状況は違うだろうけれど「草競馬に落ちる」などという表現が使われている。山口瞳の「草競馬放浪記」、紀三井寺競馬場が存在した頃の話を読んでいても、地方競馬中央競馬との「馬の実力」が今とは逆だったとはとても思えない。テンメイは中央で勝てなくなったからこそ「草競馬落ち」したんだろうし、また菊花賞馬グレートヨルカのその後を寺山修司は「エリート馬の悲惨な晩年」のように様々な書籍で記していたりしている。
 確かに昭和50年代、ハイセイコーオグリキャップの狭間の時代は物価の上昇に対しての売上の伸びが悪く見える。エントリ全体としては「やっぱり地方を潰しちゃいけない」という物凄く「普通な」意見なんだけれど、どうしても「中央のほうがレベル低く」という1文が目に付いた。

 「地方競馬を潰すな」という意見は非常によく見るし、それは当然のことで馬産が減ればそれだけ裾野が狭くなりいずれは日本産馬のレベルに影響してくるだろう。
 しかし、地方競馬が潰れれば連鎖的に中央もやばいという、なんだか誰もがそうと信じ込んでそういう意見しか目にしなくなったのはちょっともったいないという気もする。多数の地方がやばいという現状を踏まえて、中央のファンならもう少し「では中央はどう出るべきか」という部分に目が行っている人が非常に少なく感じる。地方がやばいから中央もやばい、地方を潰すなで思考が止まっちゃってる。
 地方を潰せば中央にも影響が出る、というのはそりゃそうだろう。ただ、どういう影響が出て結果どう変わるのかは、やっぱり蓋を開けてみないとわからない部分はあると思う。例えば、南関東で走るはずだったエスプリフェザントが地方全廃のため中央に入り、中央のレベル上昇という考え方だってある。正直、赤字を出して運営をしなければならない高崎市や群馬の競馬ファンではない人々に悪い気がするので、署名に参加しようとは思わない。タマルファイターは好きだったけれど。