実に簡単な構造

悪い見方をすれば「ファンを褒めておけば、いい気になってまた球場に足を運んでくれる」ということになってしまう。だから、「日本一」とかそういう言葉は好きじゃなかったりする。極端なことをいうと、「サポーター」という言葉も悪意があるようにしか思えない。
選手たちとファンの信頼関係なんて単純で、ファンは選手たちの好プレーやガッツ溢れるプレー、勝利が見たいわけだ。そのために金を払って足を運んで、馬鹿な奴は声を枯らして応援してたりもする。何でそこまでするのかというと、それが「バネ」となるからなんだよね。「がんばれー」とか言ってハナクソほじりながらテレビで野球見るよりは、マリンスタジアムに行って「打て福浦ぁ〜」とかやってたほうが、勝った時の喜びが段違いに大きい。「26番目の選手」っていうのは、「選手たちとともに戦い」っていう認識は一般的にもそうなんだけれど、自分の中では「喜怒哀楽を選手たちと共にする」という感覚。寒い中開場を待って、声枯らしてエールを送り、飛び跳ねてドームの柵にぶつけ足を痛めて、馬鹿じゃん、と思うかもしれないけれど、そうしたほうが勝った時の、いいプレーが出た時の喜びが大きいから、ただそれだけなんだよね。
でも、黒木の「雨の中ありがとー!」は泣けるな。喜怒哀楽を共にしてくれるファンに感謝してくれる選手もいる。逆に、そういうファンが多いからこそ、不甲斐ないプレーをしたらファンに申し訳ない、と思う選手もいるかもしれない。何だってそう。好きな馬の単勝馬券を握り締めて応援するのって、その馬が勝ったときに喜びが何倍にも増すでしょう。趣味でも何でも、喜び加速装置を作っておいたほうが面白い。リスクになるけれど、リスクはバネ、誓約と制約はなんちゃらですよ。ファンが選手を信頼しているから、選手がファンを信頼しているから、結果が出たときの喜びは何倍にも膨れ上がるんですよ。
「自分らは決してサポートしているわけじゃない。勝手に選手たちと喜怒哀楽を共にさせてもらっているだけだ」