ひとつのエンディングとしてのドバイワールドカップ勝利〜ミルコはワシが育てた

【ドバイWC】ヴィクトワールピサが優勝! (1) - 競馬 - SANSPO.COM
【ドバイWC】ヴィクトワールピサが優勝! (2) - 競馬 - SANSPO.COM
とはタイトルに書いたものの、凱旋門賞を勝った時がいわゆる「トゥルーエンド」だと思うし、エンディング見てからがスタートだというゲームはたくさんある、という前提で。
レース写真に刻まれた、デムーロの右肩の喪章。この日のドバイワールドカップを勝てて本当に良かった。2011年のドバイワールドカップを見るたびに、あの年ああいうことがあって、それでもヴィクトワールピサは勝ったんだ、その記録というか、あの喪章を見ることで、いつまでも震災のことを忘れないだろう。
テレビ越しに見た、涙を流しながら何度も"Thank you so mach."と繰り返していたミルコ・デムーロを私は一生忘れることはないだろう。ヴィクトワールピサが一番にゴールへと飛び込んだ瞬間の関係者の喜びを、市川オーナーとモハメド殿下がツーショットで映し出される瞬間*1を、忘れることはないだろう。
感情的なことはさておき、やっぱりヴィクトワールピサの勝利はものすごい「衝撃」だよなあ、と。
ヴィクトワールピサのお父さんのネオユニヴァースにもデムーロって乗ってて、伝説の「勝春の頭ポカリ事件」とか、ダービーでまさかのイン付きぶっこ抜きとか、デムーロネオユニヴァースヴィクトワールピサのストーリーは競馬ファンの知るところであったのも大きいと思う。あとは、二冠達成したのに菊花賞乗れないデムーロに対してJRAが突如としてルールを曲げて乗れるようにしちゃったりして、印象の強い馬ではあるかな。翌年の春の天皇賞で4歳馬が人気しまくった挙句全部飛んだあたりで、個人的にはヘタレなイメージになってしまっていたが、まさか勝つことが夢であったレースをその息子がもぎ取るなんて。
ヴィクトワールピサにも当初は武豊が乗ってたんだけど、ザタイキの落馬事故で休養を余儀なくされた後に岩田康誠に乗り替わって、でもフランス遠征では復帰した武豊に戻ってきて。凱旋門賞の時はどっちかというとナカヤマフェスタよりもヴィクトワールピサのほうに期待をしてたから、道中の位置取り見ながら「ふざけんな!」とかdisっていたのをよく覚えている。JCに急遽ローズキングダム武豊で参戦してきて、ギュイヨン→デムーロと手が変わったのもまた運命的だと思う。グリーンチャンネルでドバイの中継を見ていて、ヴィクトワールピサが勝った後にJRAのあの武豊CMが流れて「ああ、ユタカさんそういえばヴィクトワールピサ乗ってたっけ」と思い出したものである。
様々な人が書いている通りにミルコはワシ*2が育てた、という二人三脚的な結晶としての勝利だからこそ感慨深いものはあり。そして、ちょうど競馬をしっかり見始めた時期のライブリマウントの挑戦から、ホクトベガ競走中止など常に悔しい思いをし続けたからこそ、ドバイに跳ね返されてきた歴史があったからこその勝利の瞬間の喜びであったと思う。
さて、サンデーサイレンスの直仔・孫を含めて最大の勲章をネオユニヴァースの産駒が手中に収めてしまったわけだけれど、この勝利を受けての今後の動向も楽しみでならない。ヴィクトワールピサは果たして何億でシンジケートが組まれるのか、モハメド殿下がセレクトセールネオユニヴァース産駒を買い漁るのかどうか。
社台スタリオンステーションで、ヴィクトワールピサディープインパクトがこんな会話するんだろうかと思うとちょっと胸が熱くなる。
「あ、ディープさんちーっす。ところで、ディープさんってどんなレース勝ったんでしたっけ?皐月賞?あ、それボクも勝ちました。あ、ダービーとかジャパンカップは勝ってないっすねそういえば。勝てると思ったんですけどね。菊花賞はボク出てないっすね、ほら3歳から凱旋門賞行ってたんで(笑) あ、有馬記念ならボクも勝ちましたよ。あとは天皇賞っすか、さすがディープさんっすね! まあ、ボクはドバイワールドカップ勝ってますけどね」
地獄のヴピサ、まさに外道

*1:市川オーナーはサングラスのままだった

*2:日本競馬