英雄ディープインパクトは怪物になれず、そして怪物が現れなかった。

ディープインパクトという完成された強さには興味がない。
別にディープインパクトが嫌いってわけじゃない。だけれど、なんというか、その強さは認めているんだけれども、特に強い興味もなければ魅力もあまり感じない。なぜか。それは、彼の強さが完成された完璧なものだったから。などと言うと、凱旋門賞で負けてしまったことを持ち出されて「どこが完璧なんだ」と突っ込まれそうだけれど、質的に「天衣無縫」っぽいから魅力を感じない、そういうことなんですよ。
ディープインパクトに足りない要素とは何かと問われれば、それは「ミステリアス」という競走馬の能力とはかけ離れた部分だと思う。彼はミステリアスではなかった。
ミステリアスという言葉を持つ競走馬とは、一体どんな馬たちなのだろうか。「怪物」という表現をされた馬が、日本競馬史上に何頭かいた。ハイセイコーオグリキャップグラスワンダー。いずれも、デビューから圧倒的なパフォーマンスで勝ち進み「これが一線級と戦ったらどんな競馬になるんだろうか?」という話題でも持ちきりになった馬たちで、グラスワンダー有馬記念に出したらどうなるか、みたいな物言いが当時よく聞こえたものだ。
3頭の「怪物」たちは、なぜミステリアスなのか。

  • 年齢制限があるなど、トップレベルではないレースにおいて圧倒的なパフォーマンスでぶっちぎる
  • まだトップレベルとの対決がない
  • 近い将来トップレベルとの対決が見込まれる

こいつが一線級で戦ったらどうなるのか?未来というよくわからないものへの期待が、トップレベルとの比較のよくわからない「怪物」の魅力を引き立てるのだ。「怪物」の「怪」という字は「怪しい」という意味を持つ。ハイセイコーも、オグリキャップも、グラスワンダーも、どれも皆トップレベルとの対決がないから実力としては「怪しい」のだ。しかし、その怪しさの底には「すべてのレースを圧倒的な能力で蹂躙してしまうかもしれない」という期待や恐怖が潜んでいた。
競馬に限らず、怪物という呼称は江川卓松坂大輔など、甲子園で圧倒的なパフォーマンスを見せた人間などにも使われた。また、武双山雅山など、破竹の勢いで駆け上がった力士などもそのように呼ばれた。
能力は底が見えていないほうが魅力的なのだ。
ディープインパクトは、怪物となる前に勝つことを義務付けられた英雄となってしまった。そして英雄となったディープインパクトは、怪物とまみえることなくフランスへ渡り門前に屈した。そして、結局怪物を倒すことなく英雄は引退してしまった。彼の名声とは、一体なんだったのか。
などと長々書いたわけなんだけれど、最終的には「ダートは怪物の宝庫だよね」というのを「スパイキュール」の記事を見たから書きたかっただけなんだよね。スパイキュールとか、最近ではフィフティーワナーとか、そういう馬が大好きなんです。