角居勝彦調教師が2012年産(現1歳馬)の受け入れを断念、角居師にとってJRAはもう狭いのか

1歳馬の預託について - Team Sumii オフィシャルブログ

本年度の一歳馬で“栗東角居勝彦舎所属予定”となっている馬はおりません。これは、一口馬主クラブに限らず、すべてのオーナーの2012年生まれのご愛馬の預託をこちらの申し出によりお断りさせていただいたからです。

そうやってひとつでも多くの勝利をあげようと取り組んできた積み重ねを否定されるような預託頭数削減に対して何らかの対応を取らざるをえなくなりました。勝つことを目標にやっているのに、勝てば勝つほど馬の入れ替えがうまくいかなくなるというジレンマに陥ってしまうからです。

まず前提として、2009年3月に一度預託頭数上限の引き下げが行われていて、その後も上限を下げていく方針については角居師も知っていたはず。であれば、いつまた上限が下げられるかわからない中で、下げられたら1世代丸々受け入れを断らねばならないやり方をしていたのは、さすがに悪手だったと言わざるをえないんじゃないかと思う。
藤沢和師が預託頭数上限変更に危惧訴える(日刊スポーツ2008年9月4日の記事)
そもそも、角居師のような「最後まで面倒を見る」というポリシーを貫きたいのであれば、現状の年間25頭強という数字も「全部勝ったら面倒見切れない」ということになるはず。努力すれば努力するほど破綻に近づくというのは本人もブログに書いているのだから、これに関しては減らされない想定でも預かる頭数は過多だったはず。もちろん、実績や人柄やその手腕などで「是非とも角居さんに」という引く手あまたで断るのも難しい状態だった、というのはあったんだろうけれど。

競馬なんて勝負の世界なんだから敗者は淘汰されて当然ってのも理解できるんだけれど、G1やクラシックトライアルなんかのトップレベルのレースだけでなく、未勝利戦や下級条件なんかの「敗者同士の戦い」もある程度充実していて馬券も売得金も上々、その中で弱者を淘汰に任せるだけというのは競馬を興行する側としても不合理だと思う。
また、下級条件でも勝てなくなったような馬は預託契約をしたまま馬房の都合で外厩で塩漬け、レースに出ることもできなければ調教師に調教をつけてもらうこともできない、といったケースは一口馬主のエピソードとしてはありふれた話となっていて、そういうケースが減るというのは零細一口出資者や個人馬主に取ってはメリットとなるのではないだろうか。
ヨーロッパの競馬みたく、一部の超絶金持ちのメンツで回る競馬を目指すのであればこのまま競争原理を強めていけばいいのかもしれないけれど、中央競馬の目指している世界はそうではない、ということだろう。
軽く観測する限りでは、角居師のこの決断に賛同を表明している競馬ムラの中の人は見当たらないし、実際に制限ギリギリで運営してるのはトップレベルでもさらに一部の厩舎くらいなものだし、藤沢和雄調教師やそのあたりくらいなものなんじゃないかな、とは思う。
制限なんてなしにもっと多くの競走馬を育てて栄光に導いてやりたい、もしダメでも最後まで面倒を見てあげたいという角居師の志は素晴らしいと思うが、日本の中央競馬というシマは彼にとってはもう小さい器となってしまっているのかもしれない。