父へささげるタヴァロック

 別に我が父は田原とは一切関係ありません。セーキさん?だれですかそれ。
 さて、自分に競馬を教えてくれた父が競馬を辞めると言い出した。「今後一切」「先が長い人生だから方向転換」なるほど、競馬などという下賎な趣味は捨てると言いたげだ。
 しかし彼、10年ほど前に掛け金の増大で家族に迷惑をかけたかなんかで一度母に辞めさせられている。でも、気付いたらまたやっていたのでたぶんまたやり始めると思う。やめられるわけないだろう。何といっても、中山の万馬券GIを連続的中させたスーパーオヤジなのだ。
 サニーブライアンの勝った皐月賞、自慢げに「万馬券獲った!」と100円だけ馬連を見せびらかす息子に、あの人は「俺も獲ったよ」と1300円分の馬券を見せてくれた。「思い上がるな、上には上がいる」と思い知らせてくれた父。
 マンハッタンカフェの勝った有馬記念、相変わらずナリタトップロードを中山で買う息子に、あの人は「テロ馬券」と500円分の馬券を見せてくれた。「深く考えるな、ある程度直感を信じろ」と思い知らせてくれた父。
 ノーリーズンの勝った皐月賞バランスオブゲーム単勝を持ってどん詰まりにくず折れる息子に、あの人は「適当に買えば当たるよ」と1000円分の外人馬券を見せてくれた。「小回りは外人買っとけ」と思い知らせてくれた父。
 イーグルカフェの勝ったJCダート。ドン−ゴルアの馬連を持って4角で既に悲鳴の息子に、あの人は「デットーリって凄い騎手なんだろ」と500円分の的中馬連を見せてくれた。「フランキー恐るべし」と思い知らせてくれた父。
 次のJCで連勝は止まった。しかし、相変わらず先の天皇賞秋で「外人馬券」と称する馬連を100円だけ持っていたとの報告が入った。「相変わらず親父は元気でやってるな」と安心したのに、「競馬辞める」は酷すぎる。そんな親父は死んだも等しい。まだ俺の夢も叶っていないうちにそれはないだろう。
 彼と競馬に関する最古の記憶は、メジロマックイーン秋の天皇賞降着になった瞬間であった。テレビに映る若い騎手の姿を見て、父は「武降着か!?」みたいな言葉を叫んでいた。初めて競馬場に行ったのは、祝日開催の船橋競馬場。平和賞当日で、後に中央入りするブライアンズタイム産駒の圧勝だった。有馬記念は毎年早朝から付き合ってくれた。もう競馬好きの彼はいないのだ。涙すら出てくる。さようなら、永遠の馬券オヤジ。こんにちは、馬券オヤジじゃない父。俺はかなざわいっせいに、亡き馬券オヤジの姿を求めてしまうのか・・・。