アグネスタキオンと……、俺。

アグネスタキオンが急性心不全で急逝。既に様々なニュースメディアで報じられ、多くの競馬ファンが肩を落としていることだと思う。
夜のうちに馬産地の人がネットに情報を提供し、嘘だ本当だと夜通し騒いだ末、確定ソースの新聞記事で落胆するという、種牡馬の早逝時のテンプレのような展開に、朝になった時点では既に覚悟ができてしまっていた。まだ確定が出ていないと自らに言い聞かせるのは、審議の青ランプを見て淡い期待を抱いてしまい、体は次のレースのパドックに赴かねばならないのに、パトロール映像を放映するターフビジョンを食い入るように見てしまう、そんな気持ちに近いのかもしれなかった。というようなこともあり、確定ソースに触れた時点ではそんなにショックがなかった。
多くの人にとってのタキオンへの最初の印象は、「アグネスフライトの弟」であったと思う。河内の夢と豊の意地が文字通り激突し、僅か数センチ夢が勝ったばかりに史上最弱の三冠馬誕生がならなかった、その2000年のダービー馬がアグネスフライトで、桜花賞アグネスフローラの仔というよりは「アグネスフライトの弟」のほうで注目を集めていた。
デビュー戦で強い勝ち方はしたものの、2戦目に選んだラジオたんぱ杯の時点では、俺の周りの競馬ファンの評価はクロフネジャングルポケットのほうが高かった。1勝馬だということが嫌われていたってのもあるけれど、既にクロフネの人気が物凄く、当時のマル外ブームにも乗っかり、これは来年のダービーは外国産馬に蹂躙されんぞという雰囲気だったと思う。ところが、その翌日には「タキオン三冠とるよ」なんだから、現金な奴らってものだ。
朝日杯を勝ったメジロベイリーがアレすぎて最優秀三歳牡馬に危うくタキオンが選出されそうになったり、長浜師が「三冠を意識」なんて言い出したりして、タキオンネタは本当にあっちゃこっちゃで騒がれていた。
年が明けて、アグネスタキオンの次走は弥生賞だった。こっちもダービー馬の弟・ボーンキングが出てきて、アグネスタキオンに待ったをかけられるか、という空気だったと思う。その時の俺はというと、なんやかんやでものっそい忙しかったんだけれど、時間を作って中山競馬場に見にいった。現地で見た感想は、「あっけなかった」という言葉が一番しっくり来ると思う。ボーンキングも素質馬だし、能力がある馬なんだけれども、何かすべてがあっけない、敵にならない、敵の有無というよりは敵という考え方からして存在を否定されたように思えた。それで、三冠馬が誕生する瞬間を、生まれて初めて、見に行ける、そう確信した。
無敗のまま迎えた、皐月賞。光速の遺伝子は案外だった。確かに勝ちはしたものの、それまで俺が見てきたアグネスタキオンの「強さ」が感じられなかった。あの競馬は強さの証拠だという評もあったが、納得できなかった。アグネスタキオンは強くなければならない。アグネスタキオンは圧倒的でなければならない。アグネスタキオンは三冠レースすべてを5馬身以上ちぎって勝たねばならない。アグネスタキオンは……。
5月になって、アグネスタキオンが怪我でダービーを断念する、というニュースが流れた。
幻の三冠馬は、幻だから魅力的だったのかもしれない。実際に、アグネスタキオンがダービーでジャングルポケットに勝てたかどうかは、蓋を開けていないのでわからない。シュレディンガーアグネスタキオンは、ダービーでもあの泥んこの中を水かきがついているかのようにスイスイと抜け出して快勝したかもしれないし、今年のアンライバルドのように沈んだままだったかもしれない。
三冠馬には三冠馬の、幻のそれには幻なりの魅力がある。血統、環境、ライバル。アグネスタキオンこそ、日本競馬史上もっとも魅力的な「幻の三冠馬」だったと思う。もちろん、トキノミノルミホシンザンフジキセキなんかも「出れば勝ってた」という意見もあるだろうし、タキオンなんかよりも三冠に近かった、という主張もあるだろう。しかし、「幻」部分の魅力だけで考えると、アグネスタキオンほど魅力的な馬もなかなかいないと思うのだ。うん。
何にせよ、お疲れさまでした。夢を、そして幻をありがとう、アグネスタキオン